11 Jun 2014

中嶋常幸の伝説

まずは,Wikipediaより:
1978年は、初出場の第42回マスターズの2日目(4月7日)に魔女が棲むといわれるアーメンコーナーの最後の13番ホール(パー5)でクリークに2度つかまり、11オン2パットの13打を叩いたあと(13番ホール以外の17ホールは全てパープレイ)、セント・アンドルーズ(R&Aゴルフクラブの「オールド・コース」)で行われた第107回全英オープンの3日目(7月15日)には17番ホール(パー4)の第3打のバーディパットがカップをオーバーして「ロード・バンカー」(Road Bunker)に入り、脱出に4打、このホールは9打を叩いて優勝のチャンスを逃し、「ゴルフがこんなにも残酷なスポーツだとは思わなかった。野球なら代打もあるのに、あの突き刺さるような視線のなかで、出なくても出なくても、最後まで自分でホールアウトしなければならないんだ」とコメントした。この全英オープンのバーディパットは成功すれば5アンダーで首位タイに並ぶ勝負所のパットであり、バンカーショットは優勝争いに残るためにグリーンを狙って大叩きとなった。このバンカーは中嶋の愛称“トミー”をとって「トミーズ・バンカー」とも呼ばれ、2000年にも最終日最終組のデビッド・デュバルがこのバンカーにつかまり、脱出に4打、このホールは8打を叩いた。
1987年の全米オープンでは、15番ホールで一時単独トップにたったが、18番で第2打が松の巨木に当たり、そのまま落ちてこないという不運に見舞われ、まさかのロストボールでダブルボギーに終わり、優勝争いから後退した。後年、タイガー・ウッズがその舞台となったオリンピッククラブ・レイクコースの印象について聞かれた時、「87年の全米オープンのトミー・ナカジマのロストボールが一番記憶に残っている」と答えている。
1992年練習場で居合わせた堀田大介に「毎日どのくらい打ち込むの?」と質問し、「だいたい3000球くらいでしょうか」との回答を得たが、その時の中嶋の判断は「数えられるうちは練習とは言わない」というものであった。
そして,YouTubeより。


これの開始から6分ぐらいで中嶋常幸が出てきますが,「アプローチは孟宗竹のように,しなやかさの中に…」という中嶋大先輩に対して,「いや,僕はガッチガチに」と返す石川遼が秀逸。

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